『山賊の娘ローニャ』感想|セルルック3DCGによって奪われた自由

宮崎吾郎監督がジブリを飛び出して制作したTVアニメ、ということで話題の本作。ぼくは宮崎吾郎監督について「ゲド戦記」で失望し「コクリコ坂」で見直した(偉そう)のですが、アニメ監督としての実力については半信半疑でした。「コクリコ坂」の脚本は宮崎駿でしたし。

とはいえ、長編映画二作を作り上げた経験は伊達じゃないし、新しい手法にも挑戦しているということで、「やったれ吾郎!」って感じで期待しながら一話二話の再放送(本放送見逃す)を観ました。

で、感想ですが、、、

非常に退屈でした。

妻と観たのですが、終盤には二人とも死んだ魚のような眼でぼーっと画面を見つめているだけ、床で遊ばせていた娘(10ヵ月)も黙々と段ボールをかじったりしていて全く興味を示さず。

ぼくはアニメーションについて大した知識を持ち合わせない門外漢なのですが、なぜこんなにつまらなく感じたのか、その理由を自分なりに考えてみようと思います。

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『山賊の娘ローニャ』感想|なんだか色々惜しい感じ

テンポが悪すぎる

これは演出の問題だと思うんですが、会話と会話の間に妙な間があったりしてじれったいんです。

「分かったから早く先行けよ」と。

もちろん何でもかんでもテンポが良ければいいってもんじゃないんですが、ゆったりしたテンポにするなら相応の理由が必要だと思います。息もつかせぬアクションシーンの後に一休止するためとか、登場人物の会話や表情をじっくりと味わってほしいからとか。もしかすると吾郎(失礼)にもそれなりの意図があってテンポを緩めていたのかもしれませんが、全体的に間延びしてしまっているという印象しかありませんでした。

そして、ストーリを前進させるわけでも登場人物や作品の世界観について説明するわけでもない他愛ない会話や場面、つまり山賊たちの「日常」が描かれるんですが、それが無駄に長い。10分ぐらいで充分なところを50分近く使ってしまっている。これは時間の処理が下手という演出、編集能力の低さという根本的な問題がある一方で「3DCGでもこんなに豊かな感情表現が可能なんだ!」と示すことが、作り手側のテーマになっていることにも起因しているように思います。

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キャラクターに躍動感がない

ぼくは文学でも映画でも音楽でも絵画でも、新たな手法を追及しなくなったらそのジャンルは衰退すると思っています。というか、既存の手法に対する疑義とそれを革新したいという不断の欲望こそがそのジャンルを発展させるものだと考えています。

しかしこの『山賊の娘ローニャ』では、新たに挑戦したこの手法が作品全体の停滞感の元凶になってしまっているように感じられました。

なんか、

キャラクターが操り人形みたいなんです。

この作品はセルルック3DCGという手法によって作られています。いわゆる普通のアニメと同じ手描きの背景画の上に、3DCGのキャラクターを乗っけているという感じです。

3DCGのメリットの一つは、一度作り上げたキャラクターの身体を寸分の狂いもなく動かせるということだと思います。しかしその反面、2Dアニメの持っているある種のデタラメさを失うことになります。2Dのアニメでは手足があり得ないくらい伸び縮みしたり、顔がペシャンコになったりしますが、それがキャラクターに躍動感を与え、見る側に生き生きとした印象を与えます。このようなデタラメさを自由と言い換えることも可能でしょう。

3DCGで描かれる本作のキャラクターからはそういった2Dアニメ特有の自由が失われているように感じられます。身体表現に制約が課せられていて、まるで操り人形のように見えるんです。髪の毛の動き一つとってみても厳しく制御されている感じで、一応ふわふわ動いたりしているんですが、非常に堅苦しく不自由な印象を受けます。

ちなみにアニメーションの語源はラテン語のアニマ(霊魂)で、つまり生命のない動かないものに命を与えて動かすことなので、キャラクターから生き生きとした感じが失われているということはアニメの本質をぶち壊していることになるんじゃないかと思ったりもします。

しかしこのことは、3DCGという手法が持つ本質的な問題というよりは技術的な問題である気がします。例えば、早くから3DCGのアニメーションに取り組んできたディズニーやピクサーには厖大な経験の蓄積があり、思考錯誤しながらその表現技術を磨いてきたという歴史があります。一方セルアニメ全盛の日本では3DCGに関する技術的な経験が乏しく、キャラクターの感情の機微などを表現するにはまだまだ力不足なのかもしれません。

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追記01:全26話を観終わって思ったこと

全26話観ました。面白いと思える回も2、3話(第10話「きょうだいの誓い」など)ありましたが、全体的な印象はあまり変わりませんでした。テンポの遅さやこのシーンいらないだろってツッコミたくなるところなどは相変わらず。ただ、ずんぐり小人というキャラクターはいい味出していたと思います。登場回数はあまり多くないんですが、デザインも可愛らしいしウチの娘も食いついていました。

総じて、人間ではなく動物や架空の生き物を描いている場面の方が映像的に見応えがありました。やはり3Dアニメーションで人間を描くことは相当難易度が高いのでしょう。それだけ難しいことに挑戦したということで有意義な作品ではあったと思います。

山賊の娘ローニャを全話観終わって思ったのは、ディズニーの3Dアニメーション作品のクオリティの高さです。『アナと雪の女王』とか『ベイマックス』とか(ちなみにウチの娘は『シュガー・ラッシュ』がお気に入り)、ガンガン人間出てきますけど、躍動感もあるし「そこにいる感」というか実在感がちゃんとありますよね。ローニャがしゃべっているときに感じる違和感のようなものは全然ない(マウスピース?って思ってしまうような歯の感じとか)。

分かっていたことなんですが、改めて思い知らされました。ちょっとレベルが違いすぎるなぁと。今のところ、同じ手法で作っても勝負にならないでしょう。日本の強みであるセルアニメに3Dをミックスした今作の手法は期待させるものでしたが、結局中途半端なものに終わってしまったという印象です。

2Dアニメーションの究極の形というべき『かぐや姫の物語』の高畑勲監督も言っていましたが、日本の文化には世界を立体ではなく平面で捉えるという性質があるのかもしれません(高畑監督は、そもそも物を立体で描くというのは西洋に現れた特殊な文化的現象であり、人類は歴史的に物を線で描いてきたと言っています)。

確かに鳥獣戯画の時代に漫画やアニメの起源を求めれば、今後も日本のアニメーションの主流が2Dであり続けるような気もしてきます。とはいえ、技術さえあれば物凄い3D作品にできるんじゃないかと思われるコンテンツが日本には溢れているので、個人的にはこちらの分野にも優秀な人が多く集まればいいなと思います。

ちなみに、以前行った高畑監督のトークショーでこの辺りの話を聞いてきたので興味ある方は読んでみて下さい⇒高畑勲監督トークショーに行ってきた!|次回作は平家物語?

追記02:『山賊の娘ローニャ』が国際エミー賞を受賞!

2016年4月5日(現地時間)、『山賊の娘ローニャ』が第4回国際エミー賞のInternational Emmy Kids Awardsのアニメーション部門で最優秀作品賞に選ばれました。

少しややこしいですが、エミー賞の国際部門(国際エミー賞)に2013年に新設されたKids Awardsのアニメーション部門における最優秀作品賞ということです。どのような基準で評価されたのか分かりませんが、他の候補作(Get Ace, Mr. Trance,
Le Trésor du Vieux Jim)に比べると、山賊の娘ローニャは際立って良質な子ども向けアニメーションといった趣です(絵柄的に)。気になる方は他作品をググってみて下さい。

受賞を機にNHKのEテレで山賊の娘ローニャが再放送されています。放送時間は毎週金曜日の19:25~19:50(2016年4月13日現在)です。

個人的にはあまり評価できない作品でしたが、宮崎吾郎監督他スタッフの方々にとって『山賊の娘ローニャ』は締め切りにも追われながら相当な労力をかけて完成させた力作だと思いますので、こういった賞を受賞できたことは今後の励みになるでしょうね。

また何か本作に関して動きがあったら更新しようと思います。

▼山賊の娘ローニャの原作は、スウェーデンの児童文学作家、アストリッド・リンドグレーンの代表作です。