高畑勲監督トークショーに行ってきた!|次回作は平家物語?

【はじめに|高畑勲さんがお亡くなりになりました】

2018年4月5日、高畑勲さんがお亡くなりになりました。まだまだ健在で映画を作り続けてくれると勝手に思い込んでいたので信じられない気持ちです。ご冥福をお祈りいたします。

▼以下は、2014年11月23日に行われた第5回三鷹コミュニティシネマ映画祭「高畑勲監督特集」の様子をレポートしたものです。

【第5回三鷹コミュニティシネマ映画祭】「高畑勲監督特集」に行ってきました。

午前に『太陽の王子ホルスの大冒険』、午後に『火垂るの墓』、『かぐや姫の物語』が上映され、上映終了後に高畑勲監督のトークショーがありました。

トークショーは、東海ラジオパーソナリティーの小島一宏さんが高畑勲監督に質問するという形です。

本当は文字起こししたいところですが、録音や撮影は不可でしたので、忘れないうちに印象に残った高畑監督の発言についてまとめておこうと思います(高畑監督の発言は、私のメモ書きと記憶に基づくものなので、100%正確ではありません。ご了承ください)。

火垂るの墓を制作時の悩み

高畑監督は『火垂るの墓』を作るとき、「このような映画を子どもに見せていいのか?」と自問自答されたそうです。

私も今回、久しぶりに見直したのですが、映画の中では、空襲で黒こげになった焼死体や、全身火傷を負った清太と節子の母親の遺体にウジが湧いているシーン、節子が衰弱していき亡くなる描写など、大人が見ても目を覆いたくなるような場面が描かれています。アニメーション作家として葛藤を覚えて当然でしょう。

しかもトトロとの二本立てでの公開です。観客はトトロを観た後、生々しい人間の死の現実を見せつけられるわけです。今考えると凄まじい組み合わせですね。

自問自答されていた監督ですが、「死に触れることの意義」があるのではという結論に至ったとのこと。

本来身近なものであるはずの死が隠され、見えづらくなった現代社会において、死を描くことに意味があるのではと。

トラウマになったとしても疑似体験として死というものを見せてもいいのではないかと考えたと言います。

公開後、高畑監督は大きな批判を受けることを予想していたそうですが、実際には批判されることもなく驚いたとおっしゃっていました。

『かぐや姫の物語』の手法|線の重要性

高畑監督の最新作である『かぐや姫の物語』は、手描きのタッチで描かれた息を呑むほどに美しい作品ですが、その手法について監督はスタッフの技術+コンピュータによって可能になったとおっしゃっていました。

この映画を観た人は美しい映像に目を奪われアニメーターの洗練された技術に注目すると思いますが、長編アニメーションとして成立させるにはここ2、30年で発展してきたテクノロジーが必要不可欠であったということです。

また、高畑監督は線で描くことの重要性についても語りました。

以下、高畑監督の発言を覚えている限り書き出してみます。

人類は歴史的に線によって物を描いてきました。物を立体的に描くというのは、西洋に現れた特殊な文化的現象であり、ピクサーやディズニーが3DCG作品へと舵を切ったのは、物を立体的に描くという事が当然であるとの考えが根本にあるからです。葛飾北斎や歌川広重などは、当時から挿絵などによって西洋画を見ていたと思われるし、立体的に描く技術もおそらく持っていたが、それを採用することはなかった。彼らは線によって平面的に物を描くことを選択したんです。

監督の語ったことを文字通り受け取ると、アメリカやヨーロッパは3DCGのアニメーションと相性が良く、日本は2Dのセルアニメーションとの相性が良いということになります。

確かに、セルアニメーションが隆盛を極めている日本において、3DCGで描かれたアニメ(日本の製作会社によるもの)が興行的に上手くいっていないことの背景には、そのような歴史的、文化的な違いがあるのかもしれません。

トイストーリーやモンスターズインク、アナと雪の女王など、日本でも3Dアニメがヒットしていることを考えると、日本の人々が3D作品を好まないというよりは、3Dで描くことがあまり上手でない、もしくはそのような手法を選択しない傾向にある、と言えるかもしれません。

高畑勲が語る政治と戦争

インタビュアーの方がかなり唐突に「先日、衆議院が解散しました」と言い出し、「安倍政権どうですか?」みたいなことを質問して会場に笑いが起こったのですが、高畑監督はまじめに質問に答えていました。

政治について語っていたこのときが最も饒舌だったかもしれません。私も個人的に興味があったので、監督が話していたことを思い出せる限りメモしておきます。

監督はまず、「なぜ今解散するのか全く意味が分からない。」とおっしゃいました。「消費税増税を先送りするという決断について国民に信を問わなければならないと安倍首相は言っているが、それなら秘密保護法や集団的自衛権の問題など、国民に信を問うべきことは他にもあった。2012年の衆院選の前にこれらのことには一切触れていなかったではないか。」

その後、解釈改憲の話から話題は憲法九条および戦争へと移っていきました。

高畑監督は、戦後、アメリカに従属してきた日本が今日まで戦争せずに済んだのは憲法九条があったからだと言います。

アメリカは第二次大戦後も朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争、イラク戦争と多くの戦争を行ってきたが、アメリカの言いなりである日本がそれでもそこに参戦しなかった(できなかった)のは、憲法九条があったからである。そのような実際的な効力を考えれば、九条が押しつけだろうが構わないではないか。特に日本においてはこのようなブレーキとなるものが必要だ。キリスト教がほとんど普及しなかった日本では、「神を信じるが故に戦争を拒否する」という人はほとんどいない。日本では神ではなくそれが世間となる。そして世間というものは移ろいやすい。例えば、詩人の金子光晴は息子をわざと病気の状態にして兵役を免除させた。今ではその心情を理解できるだろうが、もし私たちが当事者で、自分の家の息子は戦争に行ったのに隣の金子さんちは兵役逃れしたとなれば、非国民として彼らを非難するだろう。戦争が一旦始まってしまえばそのようなことになる。

高畑監督が言うように、日本にはいわゆる良心的兵役拒否というものがありませんでした。

例えばアメリカでは、クエーカー教徒やメノナイトなどの教理上戦争を否定する教派の人々に対する兵役は合法的に免除されました。

このような良心的兵役拒否という制度は徴兵制を持つ国の多くが導入しています。

個人の信仰や信条を尊重して兵役拒否を認めるというのは、日本では感覚的に理解されにくいでしょう。個人の信仰、信条よりも世間が優先されるからです。

高畑監督が「最も信頼できる導き手」と語っていた加藤周一は、「集団主義というものは集団に超越する価値を持たないが故に危険だ」と言いました。

集団主義的な社会では、ある集団が過ちを犯した時に、集団を超越した視点からそれを批判することができないからです。

集団主義的な社会である日本においては、キリスト教の神のような集団を超越した視点を持ちづらい。高畑監督は、そうであるからこそ、戦後日本が持った集団に超越する唯一の価値である憲法九条が大事である、と考えているのだと思います。

また、監督は、KYという言葉が流行ったときに、日本人は全く変わっていないと感じたそうです。

高畑監督の次回作は平家物語?

会場から次回作についての質問がありました。高畑監督は、かなり具体的な内容の企画がすでに二つほどあるとおっしゃっていました(確か『かぐや姫の物語』を作り始める前に、平家物語を題材にした長編アニメーションを構想していたとどこかで言っていたので、もしかしたら二つの内の一つは平家物語かもしれません)。

ただ、年齢的な問題もあるので実現する可能性は低いということ、実現するには、気力、体力、知力、制作に要するお金が必要だと言っていました。すかさずインタビュアーの方が、「誰かお金出して下さい」と言って笑いが起こっていましたが、私も同じ気持ちでした。

以上、高畑勲監督トークショーのレポートでした。

【追記:高畑勲さんの「お別れの会」が行われました】

2018年5月15日、三鷹の森ジブリ美術館にて高畑勲さんの「お別れの会」が行われました。

▼盟友、宮崎駿監督の追悼文全文は以下に掲載されています。

高畑勲さん「お別れ会」 宮崎駿監督は声を詰まらせながら、亡き盟友を偲んだ(追悼文全文)

2014年のトークショーでは、夫人とともに来場された高畑監督を間近に見る機会に恵まれました。その若々しい姿と淀みのない語り口が印象に残っています。

宮崎監督は「お別れの会」にて、「パクさんは95歳まで生きると思い込んでいた」と語りました。

高齢とはいえ、長い歳月をかけて「平家物語」を完成させてまた観る人を驚かせてくれるのだろうなぁと私も思い込んでいたので、本当に残念でなりません。

高畑勲監督には、どうしても最後にやりたかった作品があった。鈴木敏夫プロデューサーが明かす

高畑勲監督、本当にありがとうございました。