プロ野球・楽天イーグルスに所属するオコエ瑠偉選手について、監督の平石洋介氏の語った言葉にとても問題があると感じたのでその理由について書いておきたいと思う。
平石監督の発言に含まれる2つの問題点
スポーツ報知によると、平石監督はオコエについて「ふざけた髪形でキャンプに来たら切りますよ」と語ったそうだ。
以下、監督の発言を引用する。
ふざけた髪形でキャンプに来たら切りますよ。本当に監督室で僕がハサミいれますよ。プロなので個性はあっていいと思うけど、プロ野球選手として恥ずかしくないようにしないといけない
この発言には2つの問題があると思う。
監督と選手という力関係を利用したパワハラ
平石監督の発言に含まれる問題の一つは、人の髪の毛を自らの主観的な判断に基づいて強制的に「切る」と宣言していることだ。
監督と選手という力関係を考えればこれは明らかにパワハラだろう。
監督の起用法によって選手の成績は変わってくるし、それが給料にも反映する。自らの生活を左右する強大な権限を持つ監督から「髪の毛を切れ」と迫られて断れる人間がどれだけいるだろうか。
そもそも他人の髪の毛を本人の意思に反して切るなどというのは人権侵害も甚だしい。
このような人権侵害に対して「愛のムチ」などと言って無批判に報じるスポーツ紙にも大きな問題があると思う。
オコエの髪を「ふざけた髪形」「俺が切る」と語る監督。普通に人権侵害だし彼のルーツを考えると差別でもあると思う
こういうのを「愛のムチ」って呼ぶのもやめてほしい
↓
"必死に抵抗するオコエに対して「お前が切らないなら坊主にしてやるからバリカンで俺がやる」"https://t.co/aM2YmOSBfk— かつかつ主夫 (@katsu2_shufu) 2018年12月31日
アフリカにルーツを持つ人々の髪型は差別の対象となってきた
もう一つ問題だと思うのは、平石監督の発言が人種差別と言われても仕方がないほどにデリカシーを欠いているという点だ。
アフリカにルーツを持つ人々の髪型はときに「不真面目」であるとされ、差別の対象とされてきた。
アフリカ系の人々の髪はときに差別の対象になる。ナイジェリア人の父を持つオコエの髪を「訳わからん」と言い強制的に切ろうとするなどあり得ない
“アフリカ系の人の髪や伝統的なヘアースタイルは「真面目ではない」というステレオタイプが世界的に根付いている”【NEUT】
— かつかつ主夫 (@katsu2_shufu) 2018年12月31日
白人がマジョリティの国では髪質の違いから黒人の人々が侮辱的な言葉を投げかけられることがある。
南アフリカのとある学校では教師からストレートパーマをかけることを命令されたり、伝統的なヘアスタイルであるコーンロウを禁止されたことに生徒たちが反発し抗議活動が行われてニュースとなった。
参照:Protests over black girls’ hair rekindle debate about racism in South Africa
オコエ瑠偉はナイジェリア人の父を持つ。平石監督の今回の発言はアフリカにルーツを持つオコエに対する差別に当たると私は思う(監督本人がそれを自覚しているかどうかは問題にはならない)。
オコエ瑠偉が過去にしていた髪型を調べてみたが、どれも自身の髪質を活かしたもので、これらを「ふざけた」「訳わからん」「チームにも影響する」などと言ってしまうのはそれこそ訳わからんし、ふざけた発言だ。
↓この38歳の監督、まじで何言ってんだろ。
“「オコエは、訳の分からん髪形をよくしおる。マジで許さん。チームの士気にも悪影響ですわ」”
で、こういう発言が
"厳しく接するのは親心でもある。"
とまとめられる。https://t.co/zeTWeH3mdZ
— かつかつ主夫 (@katsu2_shufu) 2018年12月31日
私は普段からNBAの試合をよく見るが、白人監督が黒人選手の髪型に対して「訳わからん」「ふざけた」などと言ったら大問題に発展するだろう。日本とは文化が違うだのなんだのと思う人もいるかもしれないが、この国では人種的マイノリティの存在を見ようとせず彼彼女らの声を聞こうとしないという現状があるからそう感じるだけだろう。
私自身にも言えることだが、自らが自覚できていない差別意識にもっと敏感になる必要がある。
これまでにも差別を受けてきたオコエ
思えばオコエ瑠偉という選手は甲子園で注目されてきた頃から差別を受けてきたのだ。
たとえば、2015年8月12日付のスポーツ報知では、以下のような文言が見られた。
野性味を全開させた。
真夏の甲子園が、サバンナと化した。オコエは本能をむき出しにして、黒土を駆け回った。
味方まで獲物のように追いかけた。
本能を思い切り出す野獣のようだ
参照:オコエ瑠偉選手を「野性味全開」「本能むき出し」 スポーツ報知の記事に批判
これらがどうして差別になるのかについてわざわざ説明する必要はないと思う。
また、プロ入り後に3打席連続三振を喫したオコエを報じる記事の中で「クー・クラックス・クラン」を連想させる「KKK」という表現が使われたこともあった。
楽天・オコエ3三振に「KKK」見出し ネットで「人種差別」指摘
オコエ自身、日本社会における無自覚な差別についてこう語っている。
「正直に言いますけど、ハーフの人はみんな感じていると思います。日本人はいじめ、差別じゃないっていうと思うけど、日本で暮らしている人にはいろんな思いがあるんです。生まれ育ってきても内心どこかで自分自身は日本人とは違う(とみられている)というのがある」
オコエの成績と絡めて今回の平石監督の発言を肯定する声も私のTwitterに届いているが、成績が悪いからといって他人からの人権侵害を受け入れなければならないというのはおかしな話だろう。
彼はプロなのだから、成績が振るわなければ年俸は下がるだろうし解雇される。オコエ自身、そのことはよくわかっていて、上で紹介したのと同じインタビューで次のような言葉を残している。
「人の言うことがすべてじゃない。クビになるのは自分だし、自分の道は自分で切り開いていかないといけない」
今回の平石監督の発した言葉に見られるような人権侵害、(おそらく無自覚な)差別意識というのは、日本社会のいたるところに見られる。
黒髪の強制、パーマの禁止といった学校の校則などはその最たるものだろう。
この社会の多様性(これから多様になるのではない。すでに多様なのだ)を無視し、人々を同じ色に染めようとするのはいい加減やめなければならない。
以上、今回の平石監督の発言が「愛のムチ」「親心」などとまとめられその問題点が無きものとされるのは看過できないと思い、ブログに記事として自分の考えをまとめてみました。
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