『パンチドランク・ラブ』あらすじと感想〜恋とはパンチドランクのようなもの〜

画像元:Internet Movie Database

WOWOWでポール・トーマス・アンダーソン(PTA)監督の『パンチドランク・ラブ』を観ました。

ポール・トーマス・アンダーソン監督『パンチドランク・ラブ』感想

あらすじ(ネタバレ含む)

カリフォルニアに住むバリー・イーガン(アダム・サンドラー)はトイレの詰まりを取る吸盤棒の販売をしている独身男。癇癪持ちで、ハンマーで窓ガラスを叩き割ったり周りにある物をボッコボコに殴りつけたり突然泣き出したり、精神的な問題を抱えている。そんな彼の元に姉の同僚であるリナ(エミリー・ワトソン)が現れる。自然と惹かれ合う二人だったが、バリーがある電話をしたことからやっかいな詐欺グループに脅される羽目に。リナとの関係がとんとん拍子で深まっていくのと反比例するように詐欺グループからの脅しはエスカレートし、ついにはお金を脅し取られてしまう。しかしリナに危害が加えられたことでブチ切れたバリーはグループの子分4人をボコボコにし、ついには親玉(フィリップ・シーモア・ホフマン)の所にまで乗り込んでいくのだが・・・。

このようにあらすじだけ書くと面白いんだか面白くないんだか分かりませんね(まとめるのが下手というのもありますが)。そもそも、あらすじとかストーリーだけ抜き出しても映画の面白さはほとんど伝わらないものです(言い訳)。この映画はストーリー以外の所に魅力があるんです!

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クラシック映画への愛

この作品には過去の映画への愛がにじみ出ています。作品全体に、どこか50年代60年代のハリウッド映画を思わせる懐かしい雰囲気が漂っていて、挿入される音楽や唐突な恋の始まり方、ハッピーエンドなところなんかから、僕はビリー・ワイルダーの『アパートの鍵貸します』を連想しました。

印象的な場面も多くて、たとえば襲ってきた詐欺グループから主人公が逃げるシーン。暗闇の中、腕を大きく振って走る男のシルエットが背景の白い壁に大きく写し出されるその映像は古き良きモノクロ映画のようです。

また、リナを追ってハワイまで飛んだバリーが彼女と再会する場面。ホテルの中で慌ただしく右に左に行き過ぎる人々の中、そこだけ時が止まっているかのように立ち止まる黒い影が二つ、表情の伺い知れない男女の感情が、抱き合う黒いシルエットの動きのみで表現されます。背景には太陽の光が燦々と照り付けるビーチが見え、黒いシルエットがより際立ち、影絵のような美しい映像となっています。

色の使い方も過去に観たクラシック映画(定義が曖昧ですが、大体50年代から60年代くらいのイメージ)を想起させます。バリーの着ている青いスーツとリナの赤い服の鮮やかさがポイントになっていて、時折現れる虹色の光の帯や青いフレアなど、画面に広がる色合いがとても心地良い。映画を観ている間、自分の中にある映画愛がふつふつと湧き上ってきました。水野晴郎ばりに「映画って本当に素晴らしいものですね!」と言いたくなります。

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意味という病/何もかもをメタファーとして捉える悪癖

この映画では冒頭からかなりシュールな場面が展開されます。倉庫から出てきたバリーはいきなり車が横転するのを目撃し、直後、道端にハーモニウム(小型のオルガン)が置かれます。それをバリーは仕事場に持っていくわけですが、そのハーモニウムが何なのか特に説明はありません。

他の人のレビューなんかを見ていると、このハーモニウムに何の意味があるのか?何を象徴しているのか?といった感じで困惑している様子が伺えるんですが(偉そうにすいません)、僕はそんなこと一々気にしなくていいじゃんと思います。こういうのって解釈されて意味づけされた途端つまらないものになると思うんです。訳わからないからこその面白さってあるんじゃないかと。目の前(画面)で起こったことをそのまま受け取ればいいと思います。なんだこりゃって笑いながら。

今回のハーモニウムでいえば、せいぜい日常から非日常(映画)への移行、つまり始まりの合図のようなものと捉えればいいんじゃないかと。それ以上の解釈をしてみることの面白さもあるとは思いますし実は僕もそういうの大好きなんですけどそれは結局遊び(批評ごっこ又は二次創作)のようなもので、正解探しみたいになってしまうと、なんか違うなぁと思ってしまいます。正解なんてないんですよ。たとえ監督が「あれにはこうゆう意味があって云々」とか言ったところで作品は公開された時点で監督の手を離れるものですから、その時点で監督や作家が込めた意図なんて一つの解釈に成り下がるわけです。

もちろんメタファーっていうのは映画でも小説でも大きな要素としてあるし、作品を豊かにする側面もありますが、あまりにもメタファー探し、意味探しが過ぎると作品それ自体の面白さを取りこぼしてしまうと思います。特にこの映画は分析したり解釈したりするのではなく、映像の美しさに魅入り、映画愛に共鳴し、「映画最高!」と叫ぶ類の作品だと思います。

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恋とはパンチドランクのようなもの

ところでこの映画を観た人の中には、なぜリナはバリーのようなキレっ早い変な男を好きになったのかと思う人もいるかもしれません。しかもほとんど一目惚れのような形で。リアリティないだろって感じる気持ちも分からなくはないです。

でも、恋愛ってそもそもそんなもんじゃないでしょうか。「私は○○だから誰々のことが好きです」って理路整然と説明できるものじゃないと思います。自分がなぜ彼/彼女のことが好きなのかといった理由を掘り下げていったところで答えなんて出ないでしょう。自分の中にある恋心さえ良く分からないんだから他人の恋愛なんて理解不能ですよ。バリーとリアがハワイのホテルで「君の顔面をハンマーでぐちゃぐちゃにしてやりたい」とか「あなたの眼ん玉をくり抜いて食べちゃいたい」とか言ってる場面がありますけど、誰も理解できないですよねこの感覚。こいつら何言ってんだって思いますよそりゃ。でも、二人が愛し合ってるってことはちゃんと伝わってくるんです。

P・T・アンダーソンは映画評論家の町山智浩氏のインタビューでこう答えています。

町山:「パンチドランク・ラブ」でひとつだけ解せなのは、バリーみたいな鬱屈した暴力男のどこにヒロインは惚れたのかってこと。
P・T・アンダーソン:「逆に訊くけど、あなたの奥さんはあんたみたいな男のどこに惚れたの?」
町山:それはいまだに謎ですな。
P・T・アンダーソン:「でしょ? 恋なんてパンチドランクみたいなものなのさ」

作品にまつわる小ネタ

最後に、この作品に関する小ネタをご紹介します。

・脅された主人公のバリーがお金を下ろすATMがなぜか三和銀行(その後の合併を経て現在は三菱東京UFJ銀行)。

・ワイキキの公衆電話で電話をかけるバリーの後ろでよさこい祭りが行われている。

・バリーが大量のプリンを購入し、その特典を利用して航空会社のマイレージ(実際はプリンの価格よりも価値が高い)を貯めるというエピソードは、プリン男ことデヴィッド・フィリップスの実話に基づいている。

以上です。評価の分かれる映画かもしれませんが個人的に超オススメです。是非観てみて下さい。