『沈黙−サイレンス』感想と評価|スコセッシ28年来の夢が実現!

マーティン・スコセッシ監督の映画『沈黙 -サイレンス-』が2017年1月21日(土)より公開されています。

原作は1966年に出版された遠藤周作の『沈黙』。今回の映画は構想28年と言われる、スコセッシ渾身の一作です。

第89回アカデミー賞では、撮影賞にノミネートされました。

以下、映画を観た感想、原作やキャスト、評論家や海外での評価についてまとめました。

▼傑作ミュージカル映画『ラ・ラ・ランド』の感想も書いています。

映画『沈黙』感想(ほぼネタバレなし)

以下、映画『沈黙』の感想です。原作小説は学生時代(かれこれ10年以上前)に読んで打ちのめされました。

ポルトガル人宣教師が見た「キリシタン」

虫の声や岩肌に打ち付けられる波の音が流れ、しばらくして無音に。映画『沈黙‐サイレンス‐』は、静寂の中で幕を開けます。

舞台は日本史上最大の一揆とされる島原の乱が起こって間もない江戸時代の長崎。キリスト教に対する徹底的な弾圧が行われ、多くのポルトガル人宣教師も殉教・棄教し、国外に追放された時代です。

そんな中でも信仰を守り続ける隠れキリシタン潜伏キリシタン)の村人たちの前に二人の宣教師が現れます。

映画ではアンドリュー・ガーフィールド演じるポルトガル人宣教師ロドリゴの目を通して、潜伏しながら信仰を守る人々の生活、信仰を貫き殉教する者と「転ぶ」(棄教)者の姿、史実に基づく様々な拷問、弾圧者の巧みなロジック、原作者である遠藤周作が常に悩み葛藤していた「日本におけるキリスト教受容」の問題などが描かれます。

なぜ信じるのか

冒頭から多く描かれる見るも無残な拷問シーンには胸が張り裂ける思いがします。このような辛い目に合いながらも信仰を貫いて殉教する信者や宣教師の気持ちを理解するのはなかなか難しいことです。多くの観客が棄教を繰り返すキチジロー(窪塚洋介)に共感するのもよく分かります。かつて遠藤周作は自身をキチジローであると語りました。この作品の本当の主人公は、信じたいという気持ちを抱きながらも人間的弱さ故に「転び」続けるキチジローであると考える人も多いようです。

ただ、私はこの映画を見て、信仰を持つ人間の心理を想像することも重要だと思いました。

殉教を誇り高いものとし、棄教することを恥ずべきことと考えた当時の隠れキリシタンや宣教師には、「来世」での救いという概念が拠り所としてあったのではないかと思います。キリスト教が当時の人々の心を捉えた要因の一つに、キリスト教が来世(パライゾ)における救いを信仰の根幹に持つということが挙げられます。現世で味わう数々の苦難を来世(パライゾ)における救いという概念で意味づけてくれるキリスト教に多くの人々が帰依したことは、戦乱と飢餓の時代にあって、当然と言えるかもしれません(この他にも、領主のキリスト教への改宗や家単位での信仰の継承などの側面もあります)。

現世にとどまらない、来世での救いという感覚を持つ限り、踏み絵を踏み、唾を吐きかけ、キリストや聖母マリアを冒涜する言葉を吐くといった行為を「あくまでも形式的である」と割り切ることができず、そんなことをするくらいなら「死ぬ」と考える人がいても不思議ではないと思います。しかも殉教はキリスト教徒として誇り高いとされているわけですから。

この映画には現代の日本に生きる私たちからすると、なかなか理解しがたい人々が多く登場します。しかし、そういった人間の内面に肉薄しようと努めることも映画を観る醍醐味です。特に、多様な価値観を持つ人々との共生がこれまで以上に必要とされる時代にあって、信仰を持つ人々の内面を想像することは意義深いのではないかと思います。

キチジローとモキチ。本当に強いのは?

モキチを演じた塚本晋也がラジオのインタビューで「僕の感覚からすると、キチジローは強い人間だと思う」と語っていて、はっとさせられました。

どの角度から見るかによって、逃げ回るキチジローと磔にされて殉教するモキチの評価が変わりうるというのは面白いことです。

信仰を貫き死んでいくモキチ(塚本晋也)のような人物がいわゆる「強い人間」で、その場しのぎで何度も踏み絵を踏み、逃げ惑うキチジローのような人物を「弱い人間」と理解するのが一般的だと思います。そしていかにも人間的な弱さを持つキチジローに多くの共感が集まる・・・。

しかし一方で、何が何でも「生きる」ことにしがみつくキチジローこそが強いと言うこともできるわけです。たしかに、「生きてこそ」という価値観からすると、追い詰められた状況でも生き延び続けるキチジローのしたたかさにはある種の力強さを感じてしまいます。

イッセー尾形の怪演。弾圧者が持つロジックの説得力

ロサンゼルス映画批評家協会賞の助演男優賞にノミネートされるなど、ロドリゴに棄教を迫る井上筑後守役のイッセー尾形の演技は非常に高く評価されました。ただ残虐であるというだけでなく、巧みに計算された言動には知性が感じられ、観ている側も単純に「残虐な弾圧者」という印象を抱くことはありません。そして、キリスト教がこの国に益をもたらさないと語るそのロジックには強い説得力があります。

彼が説く「キリスト教はこの国では根付かない」という考えは、原作者遠藤周作自身が長年に渡って悩み考え続けてきたことでもあります。日本が外来の宗教・思想を独自に変容させてしまうということは、遠藤のみならず多くの小説家や思想家が指摘してきたことでもありました(ex芥川龍之介、加藤周一、丸山真男)。

原作では井上自身がかつて熱心なキリスト教徒であったとされており、映画でも彼の言葉からはこの国におけるキリスト教信仰を熟知した人間であることが示唆されます。日本でクリスチャンとして生きることの葛藤を抱え続けてきた遠藤自身の考えが井上の発言に投影されているので、借り物でないその言葉には重みがあり、作品自体を非常に分厚く立体的なものにしています。

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原作は遠藤周作の傑作小説『沈黙』

(遠藤周作 (c)新潮社)

映画『沈黙』の原作は遠藤周作の同名小説。遠藤周作は小島信夫、島尾敏雄、吉行淳之介ら1950年代に文壇に登場した第三の新人に位置づけられる小説家です。

遠藤はキリスト教をテーマにした作品を多く執筆し、国内のみならず海外でも高く評価されています。

沈黙』は1966年に発表された遠藤周作の代表作。鎖国時代の長崎を舞台に歴史的史実を元に書かれた小説です(実在した人物と架空の人物の両方が登場します)。

舞台は江戸時代の日本ですが、そこに描かれる「この世界の悲惨を目の前にしてなぜ神は沈黙するのか」という普遍性を持った問いは、海を越えて多くの人々に受け入れられ、世界13か国で翻訳出版されています。

1971年には、篠田正浩監督によって『沈黙 SILENCE』というタイトルで映画化されています。

遠藤周作の作品は他に、芥川賞を受賞した『白い人』(1955年)、実際にあった解剖実験事件を題材に描かれ映画化もされた『海と毒薬』(1957年)、同伴者イエスという遠藤の「イエス像」を深めた『死海のほとり』(1973年)、インドに旅行する日本人5人を主人公とした晩年の作品『深い河』(1993年)などがあります。

また、自身を「狐狸庵先生」と称しユーモアに富んだエッセイを執筆したりCMにも出演するなど、「宗教がテーマのお堅い文学者」というイメージを自ら壊すような活動でも知られています。

▼映画の公開を前に原作も売れているようで、累計200万部を突破したとのこと。

構想28年|スコセッシと『沈黙』

スコセッシが描き続ける信仰と暴力

(出典:https://www.facebook.com/scorsese/)

映画『沈黙』の監督マーティン・スコセッシは、1942年、ニューヨークのイタリア系移民の家に産まれました。ほとんどのイタリア系移民の家庭がそうであるように彼も家の中ではカトリックの教えを受けて育ち教会にも通います(一時期は聖職者を目指してもいました)。

一方、街に出ればマフィアに代表される暴力が蠢き、家庭での信仰的生活とは対極にある世界を目の当たりにします。

映画監督になって以降も、少年時代に刻み付けられた信仰暴力という相反する二つの世界を描き続け、特に『ミーン・ストリート』(1973年)、『タクシードライバー』(1976年)、『レイジング・ブル』(1980年)などの作品には、これらのテーマが顕著に表れています。

『沈黙』の先行作品?『最後の誘惑』

そして信仰の問題と真正面に向き合ったのが「人間イエス」を描き物議を醸した『最後の誘惑』(1988年)です。

少しネタバレになってしまいますが、『最後の誘惑』のクライマックスにおいてイエスが十字架上でマグダラのマリアと結婚し、世俗的な幸福を得るという幻想を見る場面があります。その「最後の誘惑」に打ち勝ってイエスは人々の罪を背負い十字架上で死ぬことを選ぶわけですが、こういった人間的な欲望と葛藤するイエスの描き方に対し、アメリカやヨーロッパの保守的なキリスト教徒たちから激しい非難の声が上がり、映画館のスクリーンが切られるなどの暴動が起きました。

『最後の誘惑』から見えてくるのは、信仰を貫くことの難しさや欲望に抗うことの困難、人間の弱さです。スコセッシは、イエス・キリストでさえ、それらの欲望、誘惑から自由ではないこと、つまりあらゆる人間が避けて通ることのできない問題であることを映画を通して伝えています。

『最後の誘惑』が巻き起こした巨大な渦の中でスコセッシは遠藤周作の『沈黙』と出会いました。『沈黙』に描かれているのはまさに、信仰を守ることのできない人間の弱さ、そしてそうした弱き者に寄り添うイエスの姿です。『沈黙』の後、遠藤が『イエスの生涯』、『死海のほとり』で深めていく「同伴者イエス」、「弱者の神」といった考えが当時のスコセッシの内面に強く響いたのだと思います。

バチカンでの先行上映

当初は誰にも見向きもされない中、『沈黙』の映画化への強い思いを抱き続けたスコセッシは、多くの壁を乗り越えて2016年11月、ついに映画を完成させました。彼はインタビューで『沈黙』は自分にとって映画以上のものだと語っています。

そして、2016年11月30日、映画『沈黙』はバチカンで先行上映され、スコセッシはローマ法王フランシスコと面会します。

『最後の誘惑』が保守的なキリスト教徒たちから激しく非難され傷ついたスコセッシにとって、イエズス会の神父を集めて行われたこの上映会は特別な意味を持つものだったでしょう。

紆余曲折を経ながらも映画『沈黙』を完成させたことは、監督としてだけでなく一人のカトリック教徒としてスコセッシの一つの到達点であったと言えるかもしれません。

▼ローマ法王と面会するスコセッシの様子。

キャスト

映画『沈黙』の舞台は江戸時代の長崎。この地に訪れたポルトガル人宣教師や現地の隠れキリシタン、幕府の役人などが登場します。キャストには素晴らしい役者が揃っており、特に日本人キャストの面々は個性派ぞろいで名前を見るだけでも映画への興味を掻き立てられます。

以下、主要キャストを紹介します。

アンドリュー・ガーフィールド|ロドリゴ

主人公のポルトガル人宣教師ロドリゴを演じるのは『ソーシャル・ネットワーク』や『アメイジング・スパイダーマン』のアンドリュー・ガーフィールド。映画の原作・脚本を読んで強い衝撃を受けたとインタビューで語っています。宣教師ロドリゴは架空の登場人物ですが、実在したイタリア出身の神父ジュゼッペ・キアラがモデルです。

第89回アカデミー賞では、第二次世界大戦中の沖縄戦を描いたメル・ギブソン監督作『Hacksaw Ridge(原題)』で主演男優賞にノミネートされています。『沈黙‐サイレンス』でのノミネートはなりませんでしたが、両作とも日本関連の作品というのも面白い偶然です。

リーアム・ニーソン|フェレイラ

同じくポルトガル人宣教師フェレイラを演じるのは、『シンドラーのリスト』、『バットマン ビギンズ』のリーアム・ニーソン。彼が演じるクリストヴァン・フェレイラは実在した宣教師で、日本での拷問により棄教し、その後沢野忠庵を名乗った人物です。ちなみに、篠田正浩監督の『沈黙 SILENCE』(1971年)ではフェレイラ役を丹波哲郎が演じています。

アダム・ドライバー|フランシス・ガルペ

ロドリゴと共に日本を訪れるポルトガル人司祭フランシス・ガルペ役を演じるのは『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』で、悪役カイロ・レンを演じたアダム・ドライバー。NHK-BSで放送されたスペシャル番組のインタビューではスコセッシ監督のことを「映画界のピラミッドの頂点にいる人」と語り、大きな尊敬を抱いている様子でした。

浅野忠信|通詞(通訳)

ポルトガル人宣教師の通詞(通訳)を浅野忠信が演じています。当初、通詞役は渡辺謙がキャスティングされていましたが、スケジュールの関係で降板し、国際的にも評価の高い浅野忠信が起用されました。スコセッシ作品に是が非でも出演したいと並々ならぬ意欲を見せていた浅野ですが、舞台挨拶では、「一度オーディションに落ちた」と裏話を暴露。しかし「諦めずにいたらこうしてチャンスをいただけた」と作品への執念が実った喜びを噛みしめている様子でした。

窪塚洋介|キチジロー

イエスを売る「裏切者」ユダとも重ねて描かれる棄教者キチジローを窪塚洋介が演じています。作品のテーマの一つである「人間の弱さ」を象徴するキチジローは、作中で最も重要かつ最も印象的な登場人物と言えると思います。非常に難しい役どころを見事に演じ切っており、初日舞台挨拶では浅野忠信が「キチジローの大ファン」とも語っていました。窪塚にとっては本作がハリウッドデビュー作になります。

▼作品の肝とも言える重要な役どころを演じた窪塚洋介。撮影中は主演のアンドリュー・ガーフィールドに対し「バチッ」とくるところもあったそうです。

▼初日舞台挨拶で撮影の様子を明かす窪塚洋介と浅野忠信。浅野が「キチジロー良いよね」と語る場面も。

塚本晋也|モキチ

十字架に架けられ殉教するキリシタン、モキチを演じるのは、『鉄男』や『野火』などで知られ、海外にも熱烈なファンを持つ映画監督・俳優の塚本晋也。NHKのBS1で放送されたスペシャル番組『巨匠スコセッシ“沈黙”に挑む〜よみがえる遠藤周作の世界〜』では、江戸初期の隠れキリシタンの足跡を辿るため作品の舞台である長崎を訪れました。

笈田ヨシ|イチゾウ

隠れキリシタンの村人イチゾウ役を演じるのは俳優・演出家の笈田ヨシ。笈田は40年以上に渡ってパリを拠点に各地の劇場で活躍し、フランスから芸術文化勲章も授与されています。笈田が演じるイチゾウは村で「ジイサマ」と呼ばれ、宣教師がいなくなった村の信仰を守るリーダー的存在。80歳を超える身体には負担の大きかっただろう過酷で凄惨なシーンも演じています。

イッセー尾形|井上筑後守

実在の人物である幕府の大目付、井上筑後守役は一人芝居で知られるイッセー尾形。海外でも一人芝居の巡業などを行なっているイッセー尾形ですが、アレクサンドル・ソクーロフ監督の『太陽』では昭和天皇役を演じ話題になりました。

本作でのイッセー尾形の演技は絶賛されており、ロサンゼルス映画批評家協会賞の助演男優賞にノミネートされました。次点となり惜しくも授賞は逃しましたが、非常に高い評価を受けています。

第89回アカデミー賞の助演男優賞へのノミネートが有力視されていましたが、残念ながら候補には残りませんでした。

小松菜奈|モニカ

隠れキリシタンの村人モニカを小松菜奈が演じています。彼女の出演シーンでは、肉体的、精神的に非常に過酷な場面もありました。これが彼女にとって初のハリウッド作品への出演となります。

▼インタビューに答える小松菜奈。オーディションの段階では英語に不安があったとのこと。スコセッシ監督のことを「理解のあるやさしい監督」と語っています。

加瀬亮|ジュアン

小松菜奈と同じく隠れキリシタンの村人を演じるのは加瀬亮。生後間もなく渡米し、7歳までアメリカで過ごしていたことから英語に堪能で、クリント・イーストウッドの『硫黄島からの手紙』やガス・ヴァン・サントの『永遠の僕たち』など、海外の作品にも多数出演しています(本作では英語でのセリフはほぼなかったと思います)。

その他、井上筑後守と共に隠れキリシタンの村を訪れる幕府の役人役に菅田俊(目力が強烈でした)、隠れキリシタンの村人役に片桐はいり、牢を警護する獄吏役に青木崇高、捕らわれた隠れキリシタンに棄教を迫る幕府の役人役にEXILEのAKIRA、ロドリゴの妻役に黒沢あすか、怪力の獄吏役にプロレスラーで俳優としても活動している高山善廣など、日本の俳優が多数出演しています。

片桐はいり演じる村人がロドリゴに告解する場面は、作中でも数少ないクスッと笑えるシーンになっており、終始緊張感漂う映画の中でほっと息抜きできる瞬間でした。

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ロケ地は台湾

作品の舞台は17世紀、江戸時代の長崎ですが、ロケは台湾で行われました。実際に日本がロケ地として検討されていたようですが、最終的に選ばれなかったのには、他国に比べて規制が厳しいなどの理由があったようです。

台湾での撮影ということもあり、映画には台湾人のスタッフも数多く参加しています。他にも、日本、アメリカ、イギリス、オーストラリア、イタリアなど、様々な国のスタッフが本作のために集結しました。

映画『沈黙』の評価は?感想まとめ

すでに試写などで映画を観た人たちの感想をまとめました。

▼批評家で『イエス伝』(中央公論新社)などの著作もある若松英輔氏のツイート。

▼メタルギアシリーズなどで知られる世界的にも著名なゲームクリエイター小島秀夫氏のツイート。

▼政治学者の藤原帰一氏のツイート。無類の映画好きとして知られ、映画に関する文章も数多く執筆しています。

▼映画評論家の清水節氏のツイート。

海外での評価は?

スコセッシの最新作とあって海外でも大きな注目を集めている本作。海外での評価・評判はどのようなものでしょうか。

映画批評サイトRotten Tomatoesでは、批評家支持率84%と高い評価を受けています。

以下、印象に残ったレビューを抜粋します。※若干、意訳しています。

3時間近い上映時間にもかかわらず、無駄な場面が一つもない。
Sean P. Means – Salt Lake Tribune

本作はスコセッシの最高傑作ではないが、間違いなく彼が最も情熱を注いだ作品である。
Calvin Wilson – St. Louis Post-Dispatch

スコセッシは映画作りを通して「信仰」という問題を一生涯探求してきた。『沈黙』は、そんな彼の映画監督としてのキャリアを要約したような作品だ。宗教の重要性が描かれているが、神を信じる信じないにかかわりなく、観る人の心を揺さぶるだろう。
Rene Rodriguez – Miami Herald

批評家から総じて高い評価を受けている一方で、観客支持率は71%とそれほど高いとは言えない数字になっています。

Rotten Tomatoesでは、上映時間が159分と長めであることを低評価の理由に挙げているレビューが多い印象です。「神の沈黙」、「信仰」といった問題への関心の有無によっても見る人の評価が変わってくるものと思われます。

Rotten Tomatoesの批評家支持率、観客支持率は共に1/25日現在の数字。

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第89回アカデミー賞に撮影賞でノミネート

本作は公式サイトなどでアカデミー賞の最有力候補といった宣伝をされていましたが、その前哨戦とも言えるゴールデングローブ賞にはノミネートされませんでした。

そして、2017年1月24日、第89回アカデミー賞の候補が発表され、『沈黙‐サイレンス』は撮影賞のみのノミネートとなりました。一部で助演男優賞へのノミネートが有力視されていたイッセー尾形も落選し、少し寂しい結果になりましたが、1部門でもノミネートされたのは、今後の興行的なことを考えても良かったと思います。※受賞は逃しました。

あらすじ・予告編

17世紀、江戸初期。幕府による激しいキリシタン弾圧下の長崎。日本で捕えられ棄教 (信仰を捨てる事)したとされる高名な宣教師フェレイラを追い、弟子のロドリゴとガルペは 日本人キチジローの手引きでマカオから長崎へと潜入する。

日本にたどりついた彼らは想像を絶する光景に驚愕しつつも、その中で弾圧を逃れた“隠れキリシタン”と呼ばれる日本人らと出会う。それも束の間、幕府の取締りは厳しさを増し、キチジローの裏切りにより遂にロドリゴらも囚われの身に。頑ななロドリゴに対し、長崎奉行の 井上筑後守は「お前のせいでキリシタンどもが苦しむのだ」と棄教を迫る。そして次々と犠牲になる人々―

守るべきは大いなる信念か、目の前の弱々しい命か。心に迷いが生じた事でわかった、強いと疑わなかった自分自身の弱さ。追い詰められた彼の決断とは―
出典:映画『沈黙 ‐サイレンス―』公式HP

▼映画『沈黙 ‐サイレンス―』予告編

関連イベント・関連書籍他

― スコセッシ監督が来日 ―

2017年1月16日(月)にマーティン・スコセッシ監督が来日し、六本木のリッツカールトン東京で会見を行いました。スコセッシは会見で、28年前に出会った遠藤周作の原作『沈黙』を映画化できたことの喜びを語りました。

会見には、長崎の隠れキリシタンの伝統を受け継ぎ、江戸初期の禁教下における信仰の形を現在も守り続けている村上茂則さんも参加し、スコセッシ監督と固い握手を交わす場面も見られました。

2017年1月17日(火)にはジャパンプレミアが行われ、マーティン・スコセッシ監督の他、浅野忠信、窪塚洋介、塚本晋也、イッセー尾形、小松奈々、加瀬亮など、日本人メインキャストが再集結ました。

そして2017年1月21日(土)、TOHOシネマズスカラ座で初日舞台挨拶が行われました(私も行ってきました)。舞台挨拶では浅野忠信、窪塚洋介、塚本晋也、イッセー尾形、小松奈々が登壇。窪塚の「こんにちは、リーアム・ニーソンです」というボケから始まり、撮影の様子や映画『沈黙』が現代社会に投げかける問題などについてトークが繰り広げられました。

― 長崎県の遠藤周作文学館で特別展示が開催 ―

映画『沈黙‐サイレンス』の公開を記念して、長崎県にある遠藤周作文学館にて、特別展示が開催されています。

~映画公開記念特別展 遠藤周作×マーティン・スコセッシ「沈黙―サイレンス―」~

会期:2017年1月14日(土)~3月31日(金)
会場:長崎県 遠藤周作文学館
住所:〒851-2327 長崎県長崎市東出津町77番地
開館時間 9:00~17:00
入場料:一般360円 / 小学・中学・高校生 200円
※1月28日(土)、3月4日(土)のイベント開催時は観覧できません。
詳細⇒遠藤周作文学館公式HP

― 関連書籍他 ―

▼1966年に書き下ろされた遠藤周作の原作小説『沈黙』。第2回谷崎潤一郎賞受賞。

▼1971年に公開された篠田正浩監督『沈黙 SILENCE』

▼映画『沈黙‐サイレンス』の先行作品とも言える『最後の誘惑(ブルーレイ)』。本作におけるイエス解釈は物議を醸しました。