保育園に行きたくない
ズー(4歳)が通っている保育園では毎年運動会が開催される。本番まで1ヶ月を切る頃には毎日のように出し物や競技の練習が行われるのだが、ちょうどその時期にズーが「保育園に行きたくない」と言い出した。
「どうして?」と聞くと「かけっこ」で負けてしまうからとのこと。毎回、何度走っても負けてしまうと。
もちろん、行きたくない理由を尋ねるこちらの問いにズーが「かけっこで負けてしまう」と答えただけで実際にはそれ以外にも何か保育園へ行くのが億劫になる要因があるのかもしれないし、これまでにも「保育園に行きたくない」と言い出したことは何度もある。
ただ、かけっこで負けてしまうことを彼女が気にしていることは確かで、ある日、こんなことを言い出した。
「いつも負けちゃうのヤダよ。大人になってからもずっとずっと負けちゃうよ。どうしよう?」
ズーがこう言ったのは保育園の玄関で靴を脱いでいるときだった。その日は登園するのが少し遅く、園庭からは保育士さんたちの「早く早く!並んで!」という指示や子どもたちの「がんばれー!」という声が響いていた。
「大人はかけっこしないから安心して。ズーが楽しんで走れればそれでいいんだよ」と私は答えた。
私の言葉を聞いたズーはニヤっと嬉しそうに笑い、一緒に保育室まで行ってバイバイした。
少し気が楽になったかなぁとそのときは思った。
運動会本番、泣きじゃくる姿
運動会本番の日、かけっこの順番を待つズーの表情からは緊張が伝わってきた。私は彼女の姿をカメラに収めるため、スタートラインを正面から捉えられる場所に立っていた。
いよいよズーがスタートラインに立つ。一緒に走るのはズーを入れて4人。みな、ズーよりも半年以上月齢が上の子たちだ。
よーいの声に合わせて片足を出し、手をグーに握って前を見据えるズー。パァン!とピストルの号砲が打ち鳴らされるとすぐに出遅れる。それでもしっかりと腕を振り懸命に走る。差はどんどん広がっていき、もう追いつかないと悟った瞬間、顔が歪み、涙が溢れ、ズーは走れなくなった。嗚咽を漏らしながら最後は歩いてゴール。胸が張り裂けそうだった。
ゴール後も泣き続けるズーは保育士さんに手を引かれ「4」と書かれた旗の下に座った。その後も私はズーから目が離せなかった。体育座りをしながら俯き、肩を震わせている彼女の姿を見ながら私は「これはなんだろう。なんなんだろう」と心の中で繰り返していた。
なぜ走る必要があるのか
今から15年近く前、大学の授業でディスカッションをしている際にある学生が「最近の運動会は徒競走で皆が手を繋いでゴールするらしい」と言った。格差社会化する日本をテーマにした授業で「機会の平等か結果の平等か」といった議題で話し合っていたのだと記憶している。
当時の私は順位をつけない駆けっこというものに強い違和感を覚えた。そこまでやってしまうのは極端過ぎるだろうと。
その後、運動会は富国強兵を国是としていた明治期に起源があること、地域や保護者の見世物となっている実態、そもそも世界で行なっているのは日本くらいであることを知るにつれて私の中で運動会というものに抱くイメージは変わっていった。
今では運動会それ自体を行う必要がないと思っている。徒競走もやる必要はないと思う。そんなものをやらなくても子どもはちゃんと育つ。教育分野で日本よりも先を行く国々で運動会を行なっているところなど存在しないのだから。
私自身は足が速く小学生の頃は常にリレーの選手に選ばれていて徒競走といえば自分の活躍できる舞台だったし(組体操や集団で踊るダンスのような出し物は大嫌いだったが)、運動会をやる必要がないなどとは最近まで考えたこともなかった。
しかし、運動が苦手な子、足が遅い子にとってこの行事が持つ意味は何か?最下位でゴールした子たち、リレーでバトンを落として泣いていた子たち、彼女ら彼らの気持ちを想像すると当時の自分の視野の狭さを痛感せざるをえない。
走りたい子たち、足が速くなりたい子たちは陸上クラブに入れば良いと思う。全員参加で皆が一様に走らされる意味がわからないのだ。
なぜこの国の「がっこう」はそこまでして子どもたちを走らせたがるのだろう。なぜ順番をつけたがるのだろう。
ましてやズーが通っているのは保育園だ。彼女はまだ4歳だ。
体の成長速度や体格は子どもによってまちまちだし、生まれた月によって体力差もある。障碍を持つ子もいる。それぞれに得手不得手がある。個性がある。
それぞれ異なる個性を持つ子どもたちを半ば強制的に走らせて順位を付けるのはどう考えても無意味だと思う。どうしても徒競走がやりたいなら自由参加にすべきではないだろうか。
別の考え方を提示してあげたい
運動会が終わった後、ズーと仲の良いお友達が私に「ズーちゃんねぇ、かけっこの練習でね、いつもないてたよ」と教えてくれた。
「大人になってからもずっとずっと負けちゃうよ」と不安そうに言ったあの日もズーは泣いていたのかもしれない。
来年、ズーは年長さんになる。来年も運動会はあるだろうし、彼女はまた駆けっこで走るだろう。運動会などやる必要がないと思いつつ、実際に自分の子だけ参加させないという決断をすることは私にも妻にもできない。
駆けっこを速くなりたい、頑張りたいという気持ちがズーにあるなら、公園で一緒に走ってあげたり速く走るコツを調べて教えてあげたいとも思っている。
ただ、大人になるまで負け続けてしまうのでは?という不安を4歳の子に抱かせてしまった事実は忘れたくない。
この社会において支配的な価値観、慣習が全てではなく、別の考え方、別の可能性があることをしっかりと提示してあげたいと思っている。
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